どっしりと据わる土蔵、「飛良泉(ひらいづみ)」の意匠を金箔で揮毫したウミガメの甲羅、玄関から続く三和土(たたき)。

飛良泉本舗の玄関に飾るアオウミガメの甲羅は、廻船問屋の頃、船頭たちが平沢の浜で捕まえたものだそうです。長享元年(1487年)、室町幕府の八代将軍足利義政が京都に銀閣寺を建てた頃、秋田の平沢(現・秋田県にかほ市)で、二代目齋藤市兵衛によって酒造りがはじまりました。
応仁の乱の戦火を逃れ、千里の海を越えてきた、泉州(関西)の名家・齋藤一族。廻船問屋を商いとし、江戸時代中期には北前船で砂糖や呉服等と共に酒を流通させました。

齋藤家の屋号は「泉屋(いずみや)」、家紋は珍しい「九枚笹(くまいざさ)」という形。代々の当主は、二十二代目まで「齋藤市兵衛(さいとう いちべい)」を襲名してきました。
多くの古文書が残ります
※現在も大阪の泉佐野市に齋藤総本家が残っています。初代市兵衛は分家。齋藤本家が営んでいた廻船問屋の秋田支店の役割を果たしていました。

名僧に勧めるほどの銘酒

それまで齋藤家の酒銘は、中国の漢詩から引用した「金亀」でした。名僧・良寛和尚(1788~1831)の友人の地元画家「増田 九木」が、良寛に宛てた手紙に、「飛び切り良い、白い水」というトンチのきいた手紙が添えて酒を贈ったという逸話があります。

「飛」「良」と並べる「ひら」の平沢にかけた言葉で、「白」と「水」は上下すると「泉」=泉州出身の意味であり、これらが飛良泉の由来と言われています。

伝統の山廃仕込み

「はでな桜の花よりも地味ながらふくらみのある梅の花のような酒を造りたい」を信念に、頑固なまでに昔ながらの山廃仕込みにこだわり、きめ細やかな手作りで守り続けています。速醸酒母は、通常2週間ほどで仕上がりますが、山廃仕込み30日ほど必要です。温度管理の微妙な作業など、速醸仕込みよりも、沢山の手間と時間がかかっています。

培養室は、酵母の培養などを行っています。実験室のような空間です

山廃仕込みは空気中の乳酸菌など微生物の力を使い、自然のまま酒母の培養・育成をします。雑菌を滅し、酵母がしっかり育つ環境を整えることができるのです。

酒造りの工程で発生する酒粕を使いアルコール分を蒸留し、焼酎へ使用します。
酵母違いで仕込まれた純米大吟醸シリーズです。
はま矢酵母®を採取した実際の破魔矢です。

飛良泉本舗は、昔ながらの伝統を守りながらも、挑戦を忘れない東北最古の酒蔵。
※酒蔵見学は受け付けていませんので、ご注意ください。

飛良泉本舗の秘密?

敷地内には寛延年間末期(1750年頃)に酒の神・松尾大社と弁財天を祀った稲荷神社があります。
社の額にある揮毫「稲荷神社」は、最期の仁賀保蔵主であった「仁賀保 成人(にかほ なりんど)」の筆によります。